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宗教多様性と共存型一神教

Religious Diversity and Inclusive Monotheism
第零版
最終更新日――2010年3月15日(月)

この経典は、私(大黒学)が、 2010年3月14日(日)に エスペラント会館 (京都市下京区西洞院五条上る)で開催された 特定非営利活動法人日曜大学 の第81回例会における講義に向けて、 そのための草稿として書いたものです。 人物の役職名、会員数などは、その当時のものです。

講義のレジュメ: PDF版LaTeX版

目次

はじめに

ご紹介に与りました一神教学会の大黒です。 本日は、「宗教多様性と共存型一神教」と題しまして、 私どもが布教しております 共存型一神教という宗教の背景となっている考え方について 講義をさせていただきたいと思います。

[第一節]なぜ宗教は他の宗教と摩擦を起こすのか

[第一項]民主党の小沢幹事長の発言

我々人類は、さまざまな宗教を持っているわけですが、 それらの宗教は、 かならずしも平和裏に共存しているわけではなくて、 宗教と宗教との間にはしばしば摩擦が発生します。 宗教間摩擦は、 十字軍の遠征やユグノー戦争のような 大規模な戦争に発展することもある、 きわめて深刻な問題だと言っていいでしょう。

ですから、 「なぜ宗教は他の宗教と摩擦を起こすのか」 という問題について考えることは、 人類にとってきわめて重要なことです。

ところで、昨年の11月に、 民主党の小沢幹事長による キリスト教批判の発言が物議を醸しました。 報道によると、小沢幹事長は、こう発言したそうです。

キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと思っている。 排他的なキリスト教を背景にした文明は 欧米社会の行き詰っている姿そのものだ。

この発言の興味深いところは、 発言している本人は、 キリスト教を信じている人は他の宗教に対して不寛容だけれども、 自分はそうではないと思っている、というところです。 しかし、キリスト教が排他的だと批判する行為は、それ自体、 不寛容な精神から出てきたものです。 つまり、発言している本人は、 自分も不寛容な精神を持っているのに、それを自覚していない、 という点が興味深いわけです。

[第二項]多神教優位論

ところで、小沢幹事長の発言は、 多くの日本人がなんとなく思っていることを 代弁しただけなのかもしれません。

日本人の中には、 唯一神を信仰の対象とする ユダヤ教やキリスト教やイスラームのような一神教というのは 不寛容な宗教で、 それに対して神道や道教やヒンドゥー教のような多神教は 寛容な宗教だという主張、 このような主張を「多神教優位論」と呼ぶわけですが、 そういった主張をする人というのが、けっこう多いようです。 彼らも、小沢幹事長と同じように、 不寛容な精神を持っているように思われます。

ところで、「一神教は不寛容な宗教であり、 多神教は寛容な宗教である」という命題は、 宗教学的に真なのでしょうか。 私は、そのような事実を宗教学的に証明することは、 ほとんど不可能に近いのではないかと思います。 むしろ私は、一神教であるか多神教であるかにかかわらず、 何らかの宗教を信じている人というのは、 他の宗教に対する不寛容な精神を、 多かれ少なかれ 必然的に持つことになるのではないかと考えています。

[第三項]宗教間摩擦の原因

先ほど、小沢幹事長は、 他の宗教に対する不寛容な精神を持っているにもかかわらず、 そのことを自覚していないと言いましたが、同じことは、 多神教優位論を主張している人々についても言えます。

多神教優位論というのは、 多神教の信者が一神教に対して持っている 不寛容な精神から出てきたものですが、 それを主張する人々は、 自分たちが 他の宗教に対して不寛容な精神を持っているということを、 おそらく自覚していないのではないでしょうか。

小沢幹事長の発言とか多神教優位論などから分かるとおり、 他の宗教に対する不寛容な精神というのは、 自分自身にも自覚することが難しい、 したがってコントロールすることが難しいものなのです。 つまり、自分は他の宗教に対して寛容になろうと努めていても、 ついうっかり 排他的な発言をしてしまう可能性があるということです。

宗教間摩擦というのは、 さまざまな原因が複合して発生する現象だと思われますが、 何らかの宗教を信じている人間が持つ、 自分の宗教とは異なる宗教に対する不寛容な精神というのが、 一つの大きな原因だと思われます。 そして、そのような不寛容な精神は、 どのような宗教を信じている人間も 持っていると考える必要があります。

[第二節]宗教多様性は宗教間摩擦の解消に貢献できるか

[第一項]宗教多様性とは何か

さて、それでは次に、 宗教間摩擦を解消するために我々にできることは何かないだろうか、 という問題について考えてみたいと思います。

先ほど、 どのような宗教を信じている人間も 不寛容な精神を持っていると言いましたが、 彼らの中には、ものすごく不寛容な人もいれば、 それほど不寛容ではない人もいるというように、 不寛容さの程度にはばらつきがあります。 そのような程度の差がどうして発生しているのか という原因が分かれば、 不寛容さを減らすための方策、 言い換えれば宗教間摩擦を解消する方策も 分かるのではないでしょうか。

私は、自分とは異なる宗教に対する寛容さの程度は、 「宗教多様性」というものによって 大きく左右されるのではないかと考えています。

「宗教多様性」というのは、 「宗教がどれほど多様であるかという度合い」のことです。 この概念は、 「何の中での多様性なのか」ということを限定した いくつかの下位概念を持っています。 それらの下位概念のうちで重要なのは、 地域的宗教多様性と個人的宗教多様性の二つです。

[第二項]地域的宗教多様性とは何か

「地域的宗教多様性」というのは、 特定の地域の中での宗教多様性のことです。 すべての住民が同じ宗教を信じている地域よりも、 ある宗教を信じている住民と、 それとは別の宗教を信じている住民とが住んでいる地域のほうが、 地域的宗教多様性が高いということになります。

ただし、地域的宗教多様性は、 別々の宗教を信じているそれぞれの住民が、 どれだけ混ざり合って住んでいるかということによっても 差が生じます。 たとえば、AとBという二つの地域があって、どちらの地域も、 ○教を信じている住民が50パーセントで、 □教を信じている住民が50パーセントだとしましょう。 ところが、 A地域は○教の住民と□教の住民とが 別々の地区に住んでいるのに対して、 B地域は○教の住民と□教の住民とが 混ざり合って住んでいるとします。 この場合、地域的宗教多様性は、 A地域よりもB地域のほうが高くなります。 ですから、地域的宗教多様性は、 全人口の中にそれぞれの宗教の信者が何パーセントいるか、 という数字だけから判断することはできません。

[第三項]個人的宗教多様性とは何か

次に「個人的宗教多様性」ですが、これは、 特定の個人の中での宗教多様性のことです。 日本人の中には、 仏教と神道の両方を信じている人というのが かなり多いと思われますが、 そのような人は、 宗教を一つだけしか信じていない人よりも 個人的宗教多様性が高いということになります。

ただし、個人的宗教多様性は、 信じている複数の宗教の類似性によっても差が生じます。 たとえば、AさんとBさんという二人の人がいて、 どちらも二つの宗教を信じているとしましょう。 ところが、 Aさんが信じているのは○教と◎教という よく似た宗教なのに対して、 Bさんが信じているのは○教と□教という、 あまり似ていない宗教だとします。 この場合、個人的宗教多様性は、 AさんよりもBさんのほうが高くなります。

もう少し具体的な例で説明すると、神道と道教という、 よく似た二つの宗教を信じている人と、 神道とキリスト教という、 あまり似ていない二つの宗教を信じている人とを比べた場合、 どちらも信じている宗教の数は同じですが、 神道とキリスト教を信じている人のほうが 個人的宗教多様性が高いということになります。

また、信じている宗教についての知識だけではなくて、 それとは異なる宗教の知識をどれだけ持っているか ということによっても、 個人的宗教多様性に差が生じます。 たとえば、AさんとBさんという二人の人がいて、 どちらも同じ宗教を信じているとしましょう。 ところが、 Aさんは自分が信じている宗教以外の宗教については ほとんど知識がないのに対して、 Bさんは自分が信じている宗教以外にも さまざまな宗教の知識があるとします。 この場合、個人的宗教多様性は、 AさんよりもBさんのほうが高くなります。

[第四項]地域的宗教多様性と個人的宗教多様性の関係

ところで、ある地域の地域的宗教多様性と、 その地域に住んでいる住民の個人的宗教多様性との間には、 相互に影響を及ぼすという関係があるように思われます。

地域的宗教多様性が高い地域に住んでいる住民は、 自分の周囲にさまざまな宗教を信じている人がいるわけですから、 それに影響されて個人的宗教多様性も高くなるだろうと 期待することができます。

逆に、個人的宗教多様性の高い人々は、 自分とは違う宗教を信じている人々が 自分の周囲に住んでいたとしても 彼らを排斥しようとはしないでしょうから、 個人的宗教多様性の高い人々が住んでいる地域は、 それに影響されて地域的宗教多様性も高くなるだろうと 期待することができます。

[第五項]日本の地域的宗教多様性

ところで、日本という地域は、 かなり地域的宗教多様性が高いと言っていいでしょう。 しかし、では及第点を与えてもいいかということになると、 私としてはちょっとためらいを覚えます。

なぜかと言うと、日本という地域では、ユダヤ教、キリスト教、 イスラームというような、 「一神教」と呼ばれるカテゴリーに分類される宗教を信じている人が 極端に少ないからです。 確かに、クリスマスのお祝いをする日本人とか、 キリスト教のスタイルで結婚式を挙げる日本人は 少なくないのですが、 それはあくまで欧米の風習を真似しているだけであって、 彼らがキリスト教という宗教を信仰している と判断することはできません。 統計的には、日本におけるクリスチャンは、 全人口の1パーセント前後と言われています。 ユダヤ教徒やムスリムは、それよりもさらに少ないでしょう。

一神教に分類される宗教は、 世界規模で多数の信者を抱えているわけですが、 そのような宗教の信者が、 日本という地域では人口に占める割合が極端に少ないわけです。 日本の地域的宗教多様性に私が及第点を与えることができないのは、 このような理由によるものです。

そして、一神教の信者が少ないという日本の特殊な状況は、 小沢幹事長の発言や多神教優位論に見られるように、 一神教に対する不寛容な精神を生み出す土壌となっているように 思われます。

[第六項]日本で一神教が嫌われる理由

ところで、なぜ日本では、 一神教が嫌われる傾向にあるのでしょうか。 この現象は、 さまざまな要因が複合して発生していると思われますが、 おそらく最大の要因は、 「一神教というのは神道の神々や仏教の諸仏の存在を認めない」 と多くの日本人が認識している、 というところにあるのではないかと思われます。

日本人の多くは、 神道や仏教という文化的な環境の中で暮らしています。 ですから、 神道の神々や仏教の諸仏が存在するという明確な信仰を 持っていなくても、 少なくともファンタジーとしては、 それらに対する親近感を抱いているのが普通です。 そのような日本人にとって、 神々や諸仏の存在を真っ向から否定する宗教に対して 嫌悪感を抱いてしまうというのは、 やむを得ないことだと言っていいでしょう。

日本人だけではなくて、一般に多神教の信者は、 一神教に対して嫌悪感を抱く傾向にある と言っていいかもしれません。 また逆に、おそらく一神教の信者も、 多神教に対して嫌悪感を抱いていると考えていいでしょう。 そして、多神教の信者も一神教の信者も、 両者の間には深い溝があると認識しているように思われます。

[第三節]共存型一神教とは何か

[第一項]共存型一神教の教義を構成する三つの柱

宗教多様性を増大させることは、 宗教間摩擦を解消するとまでは言えないかもしれませんが、 宗教間摩擦を軽減させることはできそうに思われます。 さて、それでは、 宗教多様性を増大させるためにはどうすればいいのでしょうか。

私は、共存型一神教という宗教が、 宗教多様性を増大させるための手段となり得ると考えています。 なぜ共存型一神教は宗教多様性を増大させるのか、 という話をする前に、まず、 共存型一神教というのはいかなる宗教なのか、 ということを説明したいと思います。

共存型一神教の教義は、三つの柱から構成されています。 教義の三つの柱というのは、(i)多位一体、 (ii)第一原因としての神の存在、そして(iii)万人教祖主義です。 それでは、これらの教義について、順番に説明していきましょう。

[第二項]多位一体とは何か

まずは多位一体です。

多位一体というのは、ある命題のことです。 すなわち、「二柱以上の神々が存在していて、かつ、 根神は一柱だけしか存在しない」という命題です。 この命題の中には、「根神」という、 おそらく皆さんにとって耳にするのは初めてだと思われる言葉が 含まれていますので、 この言葉について説明しておく必要があります。

まず、神はどのようにして仕事をするのか、 という問題について考えてみましょう。 ここで言うところの神は、 人間を遥かに凌駕する能力を持つ存在者のことだと思ってください。

そのようなものすごい能力を持つ神が、 何か仕事をしようと思ったとします。 おそらく、それが単純な仕事ならば、 それを片付ける方法は人間も神も同じでしょうが、 それが複雑な仕事ならば、神がそれを片付ける方法は、 人間とは大きく違うでしょう。

人間も神も、複雑な仕事をしなければならない場合、まず、 それをいくつかの部分に分割します。 ここまでは人間も神も同じですが、そこから先は大きく違います。 人間の場合は、分割したそれぞれの部分を、 一つ一つ自分で片付けていかないといけません。 しかし、神は違います。 神は、それぞれの部分を自分で片付けるのではなくて、 それぞれの部分を片付ける神を生成するでしょう。

「繰り返すのは人間、再帰するのは神」 ( To iterate is human, to recurse divine.) という格言があります。 この格言は、 仕事を片付ける方法に関する人間と神との違いを指摘したものです。

神は神を生成することができます。 ユダヤ教やキリスト教やイスラームを信じている人々は、 自分たちが信じている神は全知全能だと考えていますので、 その神が神を生成する能力を持っていることも 認めるでしょうけれども、 おそらく、その能力はまだ一度も試されていないと言うでしょう。 しかし、共存型一神教では、 神によって生成された多数の神がすでに存在している と考えられています。

共存型一神教では、さらに、神と、 それを生成した神との関係を遡っていくと、 生成されることなく存在している神に到達すると考えられています。 そのような、生成されることなく存在している神を、 共存型一神教では「根神」と呼びます。

「根神」という言葉の定義の中に、 それが一柱しか存在しないという意味は含まれていません。 つまり、 生成されることなく存在している神が二柱以上存在していて、 それらを「根神」と呼んだとしても、 言葉の使い方としては間違っていないわけです。 しかし、共存型一神教では、 二柱以上の根神が存在するということは否定されています。 つまり、共存型一神教には、神は二柱以上存在するけれども、 それらの神々のうちで、生成されることなく存在している神、 すなわち根神は、一柱だけしか存在しない、 という教義があるわけです。 そして、この教義が「多位一体」と呼ばれているわけです。

[第三項]第一原因とは何か

次に、教義の二番目の柱、 第一原因としての神の存在という教義について説明します。

先ほど説明した多位一体という教義は、 神々が作っている構造について述べているわけですが、 この構造は神々だけのものではありません。 あらゆる存在者も、同じ構造を作っています。

存在者と存在者との間には、 一方が原因で他方が結果だという関係を 見出すことができます。 共存型一神教では、原因と結果の関係を遡っていくと、 原因を持たずに存在している存在者に到達すると考えます。 そして、そのような存在者を「第一原因」と呼びます。

さらに、共存型一神教では、 第一原因と根神は同一の存在者だとみなされています。

[第四項]万人教祖主義とは何か

次に、教義の三番目の柱、万人教祖主義について説明します。

万人教祖主義というのも、多位一体と同じように、 ある命題のことです。 すなわち、 「すべての人間は教祖となることが可能である」という命題です。

この教義の背景には、 「宗教というのは個々の人間に適合したものでなければならない」 という考え方があります。 これは、宗教は入れ歯に似ているという考え方です。 人間の精神というものは人間ごとに違っています。 入れ歯が個々の患者に合わせて作られるのと同じように、 宗教も個々の信者に合わせて作られるべきです。 そして、どのような宗教が適合することになるかというのは、 信者本人にしか分からないことですから、 自分の宗教は自分で作るのがベストだということになります。

共存型一神教の教義は、 きわめて基本的なことだけしか述べていません。 この宗教の信者は、自分で教義を追加していくことによって、 自分の宗教を作って、それを信仰するということになります。

[第五項]共存型一神教とそれ以外の宗教との最大の相違点

共存型一神教は、 万人教祖主義という教義を持っているわけですが、それに対して、 共存型一神教以外のほとんどの宗教は、それとは逆の暗黙の教義、 すなわち、 「一般の信者は教祖となることができない」 という暗黙の教義を持っているように思われます。

ですから、万人教祖主義というのは、 共存型一神教とそれ以外の宗教との最大の相違点だと 考えることができます。

[第四節]共存型一神教は宗教多様性の増大に貢献できるか

[第一項]宗教多様性の観点から見た共存型一神教の教義

さて、それでは、共存型一神教の紹介は以上で終わりまして、 次に、 なぜ私は共存型一神教が宗教多様性の増大に貢献できる と考えているのか、 という話に移りたいと思います。

共存型一神教の教義は、(i)多位一体、 (ii)第一原因としての神の存在、そして(iii)万人教祖主義、 という三本の柱から構成されているわけですが、 宗教多様性の増大への貢献という観点から見ると、 それらのうちでもっとも重要なのは、(iii)の万人教祖主義です。 そして、重要度は少し低くなりますが、(i)の多位一体も、 宗教多様性の増大に貢献できる教義です。

[第二項]万人教祖主義が宗教多様性を増大させる理由

さて、それでは、万人教祖主義という教義が、 なぜ宗教多様性を増大させるのか、 という理由について説明しましょう。

万人教祖主義という教義の背景には、 先ほど説明しましたように、 「宗教というのは個々の人間に適合したものでなければならない」 という考え方があります。 つまり、共存型一神教の理想は、 一人一人の信者が自分に適合した宗教を信じているという状態です。

それらの宗教は、 それぞれの信者ごとに違ったものになるでしょうから、 ある地域で共存型一神教の信者の比率が増大すれば、 それにともなって、 その地域の地域的宗教多様性も増大することになります。

また、万人教祖主義は、地域的宗教多様性だけではなくて、 個人的宗教多様性をも増大させます。

万人教祖主義という教義からは、 「自分の宗教は自分で作りましょう」 というメタ宗教的な考え方が導き出されます。 ですから、共存型一神教の信者になった人間は、 共存型一神教をベースにして、 それを拡張することによって独自の宗教を作ることが推奨されます。

独自の宗教を作る場合には、そのための素材が必要になります。 素材を提供するのは、主として既存の宗教です。 つまり、共存型一神教の信者は、 さまざまな既存の宗教について 学習する必要があるということになります。 そして、その学習の結果として、 個人的宗教多様性が増大することになるわけです。

[第三項]多位一体が宗教多様性を増大させる理由

それでは次に、多位一体という教義が、 なぜ宗教多様性を増大させるのか、 という理由について説明しましょう。

ユダヤ教やキリスト教やイスラームを信じている人々は、 自分たちの宗教は一神教であって多神教ではないと考えています。 そして、神道や道教やヒンドゥー教を信じている人々は、 自分たちの宗教は多神教であって一神教ではないと考えています。 このような、一神教は多神教ではなくて、多神教は一神教ではない、 という考え方は、一神教の地域に多神教が浸透することを阻害して、 逆に多神教の地域に一神教が浸透することを阻害します。 しかし、一神教と多神教とは、 けっして水と油のような関係にあるわけではありません。

共存型一神教は、多位一体という教義を持つことによって、 一神教でありながら多神教でもあるという宗教になっています。

ちょっと復習をすると、多位一体というのは、 「二柱以上の神々が存在していて、かつ、 根神は一柱だけしか存在しない」という命題のことでした。 つまり、共存型一神教は、 現在は二柱以上の神々が存在することを認めているという点で、 多神教だとみなすことができます。 そして、過去に遡っていくと、 一柱の神しか存在していなかった時点に到達する ということを認めているという点で、 一神教だとみなすことができます。

ですから、共存型一神教の信者は、 自分の宗教を作るための素材として、 一神教か多神教かのどちらか一方だけしか利用できない、 ということがありません。 ユダヤ教やキリスト教やイスラームに由来するものを 利用することも、 神道や道教やヒンドゥー教に由来するものを利用することも、 どちらも可能です。

このように、多位一体という教義は、 一神教または多神教の両方から得た素材を 利用することができますので、 その結果として個人的宗教多様性を増大させることになるわけです。

また、多位一体という教義を信じている共存型一神教の信者は、 自分の近所に住んでいる人々が 一神教の信者であろうと多神教の信者であろうと、 彼らを批判したり排斥したりすることはないであろうと 期待することができます。 ですから、多位一体は、個人的宗教多様性のみならず、 地域的宗教多様性も増大させることになります。

[第五節]一神教学会というのはいかなる団体なのか

[第一項]一神教学会の概要

それでは次に、一神教学会というのはいかなる団体なのか、 という話をさせていただきたいと思います。

一神教学会は、2006年5月に設立された団体で、 現在の会員数は2名です。 名前は学術団体みたいですが、 学術団体ではなくて宗教団体です。

なぜ、「一神教学会」という、 学術団体のような名前が付いているのかという質問が出そうなので、 あらかじめ答えておきましょう。 第一の理由は、 学術的な立場からの意見を尊重するという姿勢を 重視したいからです。 第二の理由は、 日本で最大の宗教団体が「◯◯学会」という名前なので、 それにあやかったネーミングにすると会員が増えるんじゃないか と思ったからです。

[第二項]一神教学会の目的

次に、目的について説明します。 一神教学会の目的は、先ほど説明しました、 共存型一神教という宗教を布教することです。 ただし、この目的は実は建前で、本音は、 「自分の宗教は自分で作ろう」というメタ宗教の布教です。

[第三項]入会資格

次に、入会資格について説明します。 はっきり申し上げて、入会資格は何もありません。 どんな宗教を信じている人も、入会していただけます。 無宗教の人も、無神論の人も、不可知論の人も、大歓迎です。 入会したあとで共存型一神教の信仰を強要されるのではないか、 といった心配も無用です。 入会後も、信教の自由を保障します。

[第四項]入会金および会費

次に、入会金および会費について説明します。 一神教学会は、 「お金のかからない宗教」というものを目指しています。 ですから、布教の手段としては、 少なくとも現在のところはインターネットだけしか使っていません。 そういうわけでお金のかかる活動がほとんどありませんので、 入会金および会費は、無料となっております。

[第五項]活動内容

次に、活動内容について説明します。 会員になったとしても、しなければならないこと、 つまり義務として課されることは、何もありません。 つまり、何もしたくなければ何もしなくてもいいわけです。 会員はそれぞれ、やりたいことを自発的にやってくれればいい、 というのが会としてのスタンスです。

基本的に、活動の費用は自己負担ですので、可能な限り、 お金のかからない活動をしていただきたいと思います。 たとえば、 ブログの中で共存型一神教に関するエントリーを書くとか、 共存型一神教についてツイッターでつぶやく、 といったようなことです。 会員のブログやツイッターアカウントへは、 公式サイトからリンクを張らせていただきたいと思っております。

[第六項]一神教学会公式サイト

本日の講義をお聴きになって、 共存型一神教についてもう少し詳しく知りたい と思われた方がいらっしゃいましたら、 ぜひ一神教学会の公式サイトにアクセスしていただきたい と思います。

また、公式サイトで公開している経典は、すべて、 クリエイティブコモンズ 表示2.1日本 というライセンスですので、 自由に再配布していただいてかまいません。

おわりに

最後になりましたが、 このような拙い講義を聴きにきてくださった皆さんと、 講師としてお招きくださった日曜大学の皆さんに、 心から感謝申し上げます。 ご清聴、ありがとうございました。

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